土星と木星がぴったり重なるころ私は3000mSC(3000メートル走る間に障害を計28回水濠を7回越える競技)を参照しながら作ったウイルス対策のアクリルパーテーションをもって印旛の方に向かっていた。
冬至。船橋で日没まで仕事だった。
昨年の冬至は城南島で占いによって集まった人たちと過ごしたけどその招待状をつくってたのがここ(職場の下のフロアにある連絡通路のいい感じの台)だった…受験の時に願書書いたのもここだった(なぜか横須賀線で船橋まで冬期講習通ってたのだった。船橋になにかあると思ってたから…爆)そして、何年も前に献血をした際、特典で占いをしてもらったが同業者と勘違いされて占いしてもらえなかったことがあったけど、そのビルもこの窓から見えて、色んなことがまた目の前を横切っていた…
土星と木星との重なりが肉眼で見える頃は世界史の授業をしてました。
もともと世界史の講師の登録予定だったけど古文P講師が少なかったのと採用試験でなぜかいちばん苦手な古文が結果良いというわけのわからないことになって、しばらく古文の授業をメインで担当しながら現代文や英語もみていた。その間世界史の担当はほとんどなかったが、今年は世界史の授業で入ることになり、そういうことも星のめぐりとあることを感じたのだった。
すぐちかくに電気屋があって望遠鏡をかうか1時間位迷ってたんだけど、そのあいだにウェブサイトつくってくれてるハロルド氏のパソコンが壊れてウェブサイトの更新ができないとか、aupayから私の名前のフリガナ間違えて登録されてて振替登録ができないとかそういう連絡があって自分が見るべき角度は望遠鏡の先にないと思いただ打ちひしがれながら星を見ることよりも星とともにあることが自分の試練なのだと思ってた。。。
おまけに自分のパソコンも寒さのため起動できなくてさっきやっとついたのだ…
そして、土星と木星がぴったり重なるころに、3000mSC(3000メートル走る間に障害を計28回水濠を7回越える競技)を参照しながら作ったウイルス対策のアクリルパーテーションをもって印旛の方に向かっていた。相手方のいない占いをするために。暗くてよくみえなくて月と火星の役をしてた石が途中いれかわったり最終的に月の役の石がセメントのかけらといれかわったことに明け方きづいた…
駒込倉庫『明け方の計略』で展示していたときにペット玩具とサイゼのチキンの骨で邪気ポットをつくったのですがその形はペストが流行った時代にドイツやオランダの家で飾られていたUnruhという家具を参考にしたもので、ウイルスの再流行についてその時話したのだった。自分にとって未来は断片的にもたらされた情報に対応する現実となってしまい、そういった意味でこの一年は自分にとって戸惑う間を与えてくれなかったように思う。訪問した鳥の数や姿をいちいち覚えていないように、そういう情報が目の前を横切ると、それをどう記録するのか、保護するのか、管理するのか、全然わからなかったし、かといって、鳥を追い払うことは自分にできなかった。鳥が横切る中でただオートマチックに占いをするこの身を癒すことに徹したのだった。
そしてその断片的に得たことを言葉にして伝えようとしたり、美術に持ち込もうとしてもそれは自分の努力では難しかった。そのため、今年私が制作したものは今年のはじめに作ったTOKIOの長瀬智也さんを共同体から呼び出す文句をうたった映像、春にみたアンジュルムの佐々木莉佳子さんと祭りのなかをダッシュして服についた濃さの異なる焼きそばを丸める夢についてのメモと、その佐々木さんと実際2回お話した思い出、秋に制作した掃除道具とチェキタロット、そしてこの3障アクリルパーテーションとなった。
これらの制作の過程でさり気なく真摯な言葉をくれた人の優しさに本当に助けられました。自分は、いま自分がみていることとかそれに辿り着く道について説明ができないのですが、その道について尋ねたり問うのではなく、その道を一緒に歩きながら話してくれるような人たちがいることに感謝です。 。
美術作家、古文P講師、占い師、地球儀の加工員 1ダースの猫と2ダースの車と暮らしている
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