🐐MELANKAORI🏺
美術作家、古文P講師、占い師、地球儀の加工員
1ダースの猫と2ダースの車と暮らしている
関心があることは3000m SC、Chicano Culture、Pokemon GO
好きな車種は1977年式カトラス、1964年式インパラ、ルーチェレガート、クジラクラウン🐳
※右の写真に写っているのはネズミの愛車プリンスグロリアスーパー6
好きなチームは順天堂大学 陸上競技部 長距離ブロック
好きなプレイヤーは3D人狼殺みるメイクさん、3000mSC三浦龍司さん、無名のコンゴプロレスラー
CV
1991 東京都生まれ、神奈川県出身、茨城県在住
2017 東京藝術大学大学院 美術研究科 先端芸術表現専攻 修了
2015 東京藝術大学 美術学部 先端芸術表現科 卒業
2009 神奈川県立横浜国際高校 貿易外語科 卒業
2006 神奈川県立外語短期大学付属高校 貿易外語科 入学
EXHIBITIONS
2020年「Video Edition Box」HIGURE 17-15 cas(東京)
2019年 「天使さえも寄りつかない場所」城南島海浜公園(東京)
「作品を”飾る”#2 -video edition box-」 Art Center Ongoing(東京)
2018年 「富士の山ビエンナーレ2018 スルガノミライ」旧五十嵐歯科医院(静岡)
「相模原SUPER OPEN STUDIO 2018」相原アパート(神奈川)
黄金町バザール2018 フライング・スーパーマーケット」本井ビル(神奈川)
「無礼らか~」TATARABA(東京)
「明け方の計略」駒込倉庫(東京)
2017年「紀の国トレイナート」那智駅担当(和歌山)
2016年「ゲンビどこでも企画公募 」藤本由紀夫賞受賞 広島市現代美術館(広島)
2015年 「Traffic Site」名古屋芸術大学 Art & Design Center (愛知)
2013年 「Delta展」東京藝術大学陳列館(東京)
「 Delta ー可能性の手触りー展」BankART Studio NYK(神奈川)
2012年 「先端13期生weeks」あをば荘(東京)
2011年 「記憶をつむぐ、言葉をつむぐ」仙台メディアテーク(宮城
WORK SHOP
2018 「占いWS 上野動物園に居る野良猫のタロットカード」”UENOYES(東京)
「星々を震撼させるものたちの語らい」 blanClass(神奈川)
AWARD
2016年「ゲンビどこでも企画公募 」藤本由紀夫賞受賞 広島市現代美術館(広島)
MEDIA
「山内マリコの美術館は一人で行く派展 2013-2019」
「TV Bros 2018年 2/10号 」(山内マリコさんのコラム【エッコラ・チチモ!! ~猫って長い~】「特別編メランカオリスペシャル!」)
「取手市を起業で応援するフリーペーパー Match-46 VOL.003 2016年6月号」
メキシカンBBQの途中で始まったある日の占い。メランカオリの占いは密室で行われないという特徴がある。
STATEMENT
【ABOUT】
2011年に私は初めて「メランカオリ」と名乗りました。メランカオリというのは13才のときにアメリカを訪れて以来カンザス の田舎の友達やMySpaceというSNSで知り合ったメキシコ系アメリカ人のギャングスタたちから呼ばれていた名前が変形した ものです。不思議なことに、現在は同じメランという黒を示唆する接頭辞がついたギリシア神話のメランプスのような唯一無 二でありながら誰もがなりえるようなセラピストになることを志しています。自身の作品は、基本的には狂気治癒のための道 具や儀式のようなものを前提としてますが、ときに、その方法自体が狂気じみていることがあります。狂気自体の中に救いが 宿っているとも言えるし、治癒に狂気的な要素が含まれているとも言えます。つまり狂気と治癒は一つの情態の両面であると 考えるため、作品として現れるものは癒しにもなりえるし、人の心を狂わせるものにもなりうるひとつの指標、預言的なもの として留まるのでしょう。そのため、既存の精神療法からは逸脱しており、祈りや聖遺物の効力、超自然的な加護とも異なり ます。倒れていないものに手をかしすぎる世の中や、救いに恵まれることに億劫になってしまっている時代について考えながら、 現在は、病院にも刑務所にも墓場にも行き場のない不安を抱えた人たちが訪れる遠くない未来のために制作をしています。
【STYLE】
網目模様の石が必要なとき、次に私がすることは、道具を手にして自分の手でその石に網目を刻むことではなく、そのような 模様をした石を探しに出ることでしょう。そういった免れ得ない途方もない仕事を開始するとき、不死身であることの意味を 考え始めます。
【ATTITUDE】
根拠のない不安に根拠のない対処をする人たちがいる。私自身は、迷信深くあるべきではないと思いながらも共感をしている。 そういった秘密裏に行われている強迫的な思考や行動を、病気や狂気という名目によって片付けず、生活に属した仕事として 考えてみたい。「根拠のなさ」を不合理なこととして払いのけず、「根拠のないこと」を貴重な 1 つの情報として慎重に扱う 姿勢を示したい。「根拠のないものには、根拠のない対処を」という態度は太古から魔術師が示してきた態度であるが、両者 の間にある秘密を守ることが魔術の役目である。魔法使いは発見をする。自身が選別した杖で誰かを獣に変えたり、箒で空を 飛ぶように。例え、そのようなことが出来なくても、空を飛ぶときには箒だとイメージできることが大事なのである。私はこ れからも、根拠のないもの同士にある秘密や不思議を発見することに生活を費やしていく。そしてその発見を用いて、セラピストとして、 少なからず自分の今後一生の悩みと、限られた数名の悩みを解消出来る気がしている。狂気を治す治癒とは、それ自体が狂気じみたことであるということを肝に命じながら、この種の仕事に今後も全霊を打ち込むつもりである。
【MOTTO】
私は占いをします。しかし、きちんと体系的に占術を学んだことはなく、手続きを踏んで占い師になった訳ではありません。 占い師だと勘違いをされた日、私は初めてその人のために占いをしました。初めて公で占いをしたのは紀伊半島を往復する列 車の中で、朝9時半に白浜駅を出発し新宮で折り返して夜7時過ぎまで私は乗り降りする人たちと占いをしました。そして、 幼い頃に自分がやがて占いをするようになることを占っていたことを知ってから占い師であると名乗るようになりましたが、 当時の覚書によると、それも2023年までのことのようです。 ところで、占いで用いるホロスコープや手相には矛盾する情報が必ず同居しています。そのような矛盾した情報同士が接続した り分岐するところで占いをする人の采配が試されるような気がしています。そして、それぞれの情報を合わせたときに発生す る諸矛盾が連絡できる道をつくることが私の仕事です。ずっと遠くにある星の動きとずっと近くにある自分の心の動きとが接 近することを占いの要件とするならば、占い師はそのような極端なもの同士が急接近し、瓦解する寸前のところに逗らなくて はいけません。そして、星の動きと心の動きとは平行でありつづけるという現実があるときは、確率とは異なった運動方式に のっとり、両者が出会う方法を見つけていくのでしょう。
【LARGE AVIARY】
私は湾岸戦争勃発の翌日に生まれましたが、それは金曜日の朝で、太陽と土星は山羊座の28°を横切っていました。占星術では 山羊座28°という度数のシンボルは大きな鳥類飼育場(a large aviary)と言われており、鳥は霊性の喩えで、そういった霊性を 帯びた情報が食傷気味にもたらされることを意味します。 鳥のことを考え出したのは最近のことですが、昨年双子座の友人とよく湾岸地区を歩きました。そこには、東京港の野鳥を観 察する人たちがいました。その会話では、鳥の様子が、飛行機の離着陸、風向き、空模様、果ては自身の心の動きまでに係わっ ていました。鳥について考えたことを述べるというより、鳥がその本性を自ずと告げることで姿をあらわすときのレポートの ようでした。つまり、鳥について語ることは、鳥という存在から一体どこまで飛んでいけるのかという試論であると言えるの かもしれません。
【WEBSITE】
極端なもの同士、例えば星の動きと心の動きとが出会うために、情報の諸矛盾を連絡する道がありますが、その道は点と点を 結ぶ線のようには表現できません。私たちはそのような道に度々迷い込んだり呼び出されますが、目的地の説明をされること はありません。なぜならば、必ず私たちをそこへ連れて行くことがその道の役目だからです。ただ、呼び出された場所にとど まる者に、それは遅れ馳せに「占い」といわれるものとなります。 道中、私たちにとって根っこ、鍵、補助線、命綱、そういったものが必要ないということを立証していくことはとても難しい作業ですが、頼みとするが断ち切られたところでしか感じ取れない安らぎとそれに対応する現実があるのも事実です。海辺や山道にある測量の目印の紐をついつい手でさわりながら歩くとき、そこには手摺を掴みながら歩くのとは異なる安心感があるように、 救いはどこかへ導く手のことではなく、たどり着いたときには救われているような場所である気がします。 ここ最近、自分の心の中で錨としていたものたちが順繰りに旅打ちに出かけていってしまい心もとない季節がつづいています。 不確定な時代の中で、停滞しつづける階段の踊り場のような場所で、星々を震撼させる語らいがされるために、このウェブサ イトが機能すれば良いなと思います。
【ETIQUETTE】
自立するものはいつも過剰と不足の悩みを抱えている。目の前にある1本の線は何かが足されている状態にも見えるし、何かが 欠けた状態にもみえる。存在の満ち欠けにまつわる不定愁訴。例えば、正の字を数えることが難しくなるなどがその症状として挙 げられる。そのような困難に直面している者同士が調子(リズム)を尋ね合うことから始めよう。距離や時差を縦横無尽に横 切って飛んでいくものたちに対する心遣いを発見するだろう。祈りは通用せず、問い合わせや知らせが理不尽に飛び交っている場。他人に譲歩することより自分への安心が交通マナーとしてある。