《微晶にまみれた箒の遍歴》
掃除用品,エクステ,ぬいぐるみ,寝具,カーペット,畳,カーテン,蒸留酒など
2020
烏{2016年から制作している観想的な掃除道具の新シリーズ。掃除道具と掃除される箇所とがカップリングされている。
トリプルグレートコンジャンクションという星の配置の影響を受けて、ここ数年で心の中で錨のような存在だったものを手放すことになった人も少なくないだろう。メランカオリは甘美な記憶が漂う実家を手放す経験をしたが、片付けることはものを消滅させたり記憶を消失させることではないと言いながら掃除をする。手放しながら新しい形で何かしるしをつけているようだ。このしるしは、数えられることはない。一個人や集団が築いた領域や財を守り抜くためのものではなく、何億光年をかけたこの星をめぐるしるしのことである。
メランカオリが新作の箒を作るにあたって残した文章を以下に掲載する。
この箒は土星逆行中(2020年7月18日)に私がみたことを整理するために作りました。私がみたのはギロチンにもハードルにもみえる星回りとそれに伴う人の振る舞い。そして脈絡のない情報の嵐をきいた。
自分の描く棒人間が人よりも星に似てきた頃に私は占いをするようになって、その棒人間が錨の様に見えるようになった頃私は占いをすることについて戸惑うようになりました。その時期に自分の心の中で錨のようだった存在が順繰りに旅打ちに出掛けてしまって、占いをするせいでその別れを悲しむ機会を失ってしまったからです。
そしていまリアルタイムで起きていることについても、自分のしてきた占いについて「あれはなんだったのか」わかるような作業の日々で、もしさっきの(オートマティックな)占いでみたことを近い未来もう一度みることになると思うとと戸惑っています。
そんななかで、私は掃除道具をつくりました。
はじめて訪れた印西にある順天堂大学さくらキャンパスでみた掃除道具の柄は、実家を失った頃の私にとってなんとなく故郷に変わる新しいものに感じました。正確にいうと、生家がなくなってからは不思議とどこもかしこも見知らぬ地のように思えてしまったのですが、箒の柄をもって地面を掃いているとき故郷とか異郷とかそういうんじゃないところでなんらかのしるしを確認しているような気持ちになります。そういえば私が初めて星を見たのは、小学生の頃、掃除当番をしてたときのことだった。それは柳田國男の「幻覚の実験」という話の中で出てくる星と似たようなものだと思ってるが、家から印西方面へ向かうとき必ず柳田國男の布川の家を横切っていく。そういうことも、この箒に係っているのだと思う。
この箒をいくつかの美術の展示会で制作して展示することを試みましたが全て叶いませんでした。でもそれは、7月18日を待たないとできないことだったのだと今は感じております。限りなく星を眺めているような人、あるいは星、錨たちに、微晶にまみれる箒の遍歴を見守って欲しいです。